時間の無駄にはならないけれど
2023年となりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年こそもう少し記事を増やそうと思っています(有言不実行:3敗ぐらい)。その最初の足がかりとして、今年元日に見た映画「すずめの戸締まり」の感想を書いておこうと思いキーボードに向かっています。
自分が新海誠監督の映画を初めてみたのが多分に漏れず「君の名は。」でした。今の自分が見たら「これRADWIMPSのMVじゃん」だの「この監督は自分が書きたい画にストーリーを後付けしてそれっぽくしているだけでは?」などと暴言を吐きそうなものですが、当時の自分がどう思ったのかは記録もとっていないのでわからずじまいです。
そこから約7年が経過し、「神宮球場のバックスクリーンが正規のスポンサーじゃない*1」という理由だけで見る気をなくした*2「天気の子」をスルーして、2023年の映画初めに選ばれてしまった「すずめの戸締まり」に向かうのでした。
結論から言えば見て損にはならなかった、と思っています。とはいえ細かい描写に「そりゃねえだろ」みたいな部分を感じてしまって入れ込みきれなかった、というのが否めなかったです。話の本質に関係ないので敢えてネタバレしますと、ある登場人物が乗る車の描写に異常なまでの引っ掛かりを感じてしまったのでした。
明らかに某イタリア車を彷彿とさせる架空のオープンカーだったのですが、それがまぁポンコツで。屋根は閉まらないわドアは落ちるわ…と、そこだけ異常なまでにコミカルかつ滑稽に描かれていたように見えて私は集中できませんでした。どれだけ私が腐ってもクルマというコンテンツに好きという感情があるからこそこのような思いをしたのかもしれませんが、それにしたって酷かったなという。
もっとツッコむなら彼のSpotifyを使ったBGMの選曲にも場の空気とのミスマッチ感を感じずにはいられなかったのですが、そうでもしてないとやっていられないんじゃなかろうか、みたいな同情をすることで整理することにしました。
正直、ここに引っ掛かりを覚えるのは自分みたいな極一部の人間だけです。とはいえ自分の中で数多の言語化できない引っ掛かりを感じたこの映画に思うのは、「東日本大震災を知らない世代が見て果たしてギミックを理解できるのだろうか」ということです。これも言語化できない引っ掛かりの1つに入るのですが、恐らく10年20年後に、今の私ぐらいの人間によってこの映画がレビューされた際に現在の文脈とは大きく変わった文脈で評価されるのではないかと感じています。その頃の自分がレビューを見るかどうかは知ったことではないですが、なんとなくそう感じずにはいられないのです。
あまりにも無遠慮かつ不謹慎な言い方をすれば、その間に大震災が起こりでもすればこの映画はこの懸念どおりに風化しないのでしょうけれど。
結論から言えば、私は新海誠という映画監督に何も求めてはいない*3んだなということは確かでした。そもそも「言の葉の庭」だの「秒速5センチメートル」だのだって見たことはないんだし。一部の感想に目を通すと陰湿なオタクがギャーギャー騒いだり、スカした顔して批評している様を見たりしますがそれですらどこか滑稽に思えてしまう不思議。神格化はしたくないんですけど、どうもあの監督には「触らぬ神に祟り無し」の気配が漂っている。そんな気がしてならないのです。見ない方が幸せだとかは言いませんけど、ね。
でもやっぱり2時間2分費やして言語化できたのが例のクルマの描写だけって、どうなんだとも思いますが。
それでもまぁ世間は彼を肯定し、興行収入を稼いでいくんだなとぼんやり感じつつ締めたいと思います。まとまりのない文章でしたが、最後までお読み頂きありがとうございました。