【再現 パワプロ2022】糸井嘉男(外野手)【パワナンバー】
再現選手備忘録4人目。
選手名:糸井嘉男
再現年度:2016年(.306 17本 70点 53盗)
【経歴】
宮津高から近畿大を経て2003年ドラフト自由枠にて北海道日本ハムファイターズに入団。入団当初は投手だったが本人曰く「鳴かず飛ばず」で2年間一軍登板は無く、外野手にコンバートされることになる。その後の彼は想像を絶する努力を経て2009年以降は日本を代表する5ツールプレイヤーとして活躍することになる。
2013年に大型トレードでオリックスに移籍することとなるが、持ち前のポテンシャルは変わることなく、日本代表にも選ばれるなど主力としてチームを支えた。特に2014年は首位打者(.331)、2016年は35歳という年齢で53盗塁という驚異的な数字を残した上での盗塁王獲得という金字塔を成し遂げている。
2017年はプロ入りを志すきっかけとなった阪神タイガースにFA移籍する。身体の衰えと戦いながらプレーし続けるも、2022年シーズンをもって現役引退。現在は阪神のSpecial Assistantを務めている傍らでデイリースポーツ野球評論家、及びYouTuberとしての活動を行っている。
【査定について】
パワプロ2016(Ver.1.07)のトレース。「阪神タイガースの糸井嘉男」を2023シーズンに持ち込みたい、しかし末期の能力では…という葛藤の末に移籍直後という体でこのような形になりました。
【余談というか後書き】
自分が野球にハマった2020年、そして彼が引退する2022年まで、偶然にも自分が阪神戦を見に行くと必ずと言っていいぐらいスタメンを張っていた選手でした。独特な世界観を持つ超人のセンスに魅せられていたのかもしれません。
なにより引退試合を甲子園の現地で見られたことは、野球ファンとして大切な思い出の一つです。
【再現 パワプロ2022】ジェリー・サンズ(外野手)【パワナンバー】
再現選手備忘録3人目。
選手名:ジェリー・サンズ
再現年度:2021年(.248 20本 65点 1盗)
【経歴】
カトーバ大から2008年MLBドラフト25巡目でロサンゼルス・ドジャースに入団。その後タンパベイ・レイズ、クリーブランド・インディアンス、シカゴ・ホワイトソックスやマイナーを経て2018年にKBO・ネクセン・ヒーローズに移籍。チーム名がキウム・ヒーローズに変更された2019年にはリーグ戦通算113打点を挙げて打点王となった。
2020年にNPB・阪神タイガースに移籍。オープン戦では打撃不振に陥り開幕自体は2軍で迎えたものの、すぐに昇格し6月27日の横浜DeNAベイスターズ戦にてNPB初安打を9回表2アウトで山崎康晃からの逆転3ランという最高の形で決めると、以降その持ち前の勝負強さを遺憾無く発揮することとなる。しかし夏場以降の不調が課題だった他、膝を痛めたことと2021年時点で34歳という高齢が災いして2年間の在籍をもって退団となった。その後、1年のブランクを経て現役を引退した後、今シーズンより阪神の駐米スカウトとして活動することとなった。
【査定について】
パワプロ2020最終データ(Ver.1.16)。特になんの捻りもないです。
【余談というか後書き】
個性的な表情と勝負強さが今でも自分の中では印象深い助っ人です。自分が初めて買った野球選手グッズはサンズの缶バッジ(サンテレビとのコラボ商品)でして、そのことがつい昨日のことのように思い出されるのですがもう3年前の2020年9月25日の出来事なんですね。残念ながら背番号52の彼を現地で見たのはその時限りでした。これからはスカウトという形にはなりますが、また頑張ってもらいたいものです。
【再現 パワプロ2022】アンディ・シーツ(内野手)【パワナンバー】
再現選手備忘録2人目。
選手名:アンディ・シーツ
再現年度:2003年(.313 25本 75点 3盗)
【経歴】
ルイジアナ州立大学から1992年MLBドラフト4巡目でシアトル・マリナーズに入団。その後サンディエゴ・パドレス、アナハイム・エンゼルス、ボストン・レッドソックス、タンパベイ・デビルレイズと球団を渡り歩く。パドレス時代の1998年にはワールドシリーズにも出場している。
2002年オフにNPB・広島東洋カープに移籍。レイズから金銭トレードという形での獲得であった。この年の広島は12球団ワーストの失策数であり、彼を獲得することで改善を目指していた。しかし実際は打撃面で大きく貢献することとなり、2003年シーズンの後半は不調の新井貴浩に代わって4番打者も務めるまでに至った。翌年も残留するものの、契約が折り合わなかったことで退団。福岡ソフトバンクホークスとの争奪戦の末、阪神タイガースに移籍し2005年の優勝に大きく貢献することとなる。引退後は昨シーズンオフまで阪神の駐米スカウトを務めていたのも記憶に新しい。
【査定について】
基本はプロスピA(2018 Series2 Special)に収録されていたものになります。パワプロの能力を参考にした記憶がほとんど無いですが弾道とチームプレイ○は間違いなくパワプロ10決定版参考です(汗)
※サブポジ(1塁、3塁)はおまけで付けています。
【余談というか後書き】
これは「普通にシーツ作っても面白く無いからショートを守れるシーツ作ったろ」の気持ちで作ったものです。失策が多かったという部分は捕球を下げることで対応しているのですが、最近の阪神・中野もそんな感じのスタッツに落ち着いているので間違ってはないのかなと。捕球Fでもゴールデングラブ賞の摩訶不思議。こんなこと言っちゃいけないのかもしれませんが。
【再現 パワプロ2022】サムソン・リー(投手)【パワナンバー】
2023年度が始まりましたが、現状御景は低空飛行を続けております(汗) とりあえず時間があるうちに暇潰しで作っていたパワプロ再現選手の備忘録を再び書こうと思ったので順次更新していきます。なお、2022名義になっているのは前シーズン中に作成したものということなので悪しからず。
選手名:サムソン・リー(イ・サンフン)
再現年度:1999年(6勝5敗 防御率2.83)
【経歴】
ソウル高校から高麗大学校を経て、1992年ドラフト1位でLGツインズに入団。契約金は1億8800万ウォンという当時の史上最高額の新人契約金だったとのこと。三振の取れる左の剛腕として注目されるが、習慣性の脱臼や血行障害が延々と彼を苦しめることとなる。1997年オフにポスティングシステムによるメジャーリーグ移籍を試みるが、移籍料があまりの低額だったことに球団が難色を示し、当時提携関係にあった中日ドラゴンズへの移籍を薦めたことが彼の日本挑戦のきっかけとなる。
1998年に中日ドラゴンズへ移籍。来日当初は移籍を試みたことに伴う練習不足が響いて痛打されることがほとんどであった。そんな彼が安定して活躍したのは2年目の1999年。持病である脱臼と血行障害の影響を考慮し中継ぎに転向したことが奏功し6勝を挙げリーグ優勝に貢献。しかし日本シリーズでは肘の故障で出場選手名簿から外れるという何かと怪我に悩まされる結果となった。その後念願であったメジャーリーグ移籍を果たすことにはなるが満足の行く戦果を上げることはできず韓国へ戻ることになったり、引退後はロック歌手(!?)になったりコーチになったりしたりと転々とした後、現在は韓国MBCスポーツの野球解説者というポジションに落ち着いている。
【査定について】
基本はパワプロ99決定版を基にしつつ、プロスピA(2017 Series2 Special OB)にも収録されていたのでその能力も参考にしながら製作しました。
コントロール/スタミナ:プロスピA参照。255段階の読み替えがしんどいので楽を取りました(懺悔)
変化球:パワプロ99決定版とプロスピAもだいたい同じだったのでこの形に。カーブは1でも良かったかもしれませんがなんとなく。
【余談というか後書き】
ブログに残すつもりは当初なかったのですが、筆が鈍りすぎてもよくないと思ったので2022シーズン中に作った再現選手数人を書き記すことにしました。とはいえ2人は完全に100段階になってからの公式能力トレースなのでコメントすることもあんまりないのですが。
そもそもが「寒過ぎるからサムソン・リーでも作ったろ!!」というギャグネタで始まったのですが、これがまぁ大苦戦。基本的に一発で仕上げるのを目標にするのですが見事にしくじりました。(汗)おのれふわふわマン。韓国三銃士、エピソードも面白いなぁと思ったので全員作りたいという気持ちは何処かにあったりなかったりします。宣銅烈作る為にシナリオ開けたはずなのにやってないし(え)。
時間の無駄にはならないけれど
2023年となりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年こそもう少し記事を増やそうと思っています(有言不実行:3敗ぐらい)。その最初の足がかりとして、今年元日に見た映画「すずめの戸締まり」の感想を書いておこうと思いキーボードに向かっています。
自分が新海誠監督の映画を初めてみたのが多分に漏れず「君の名は。」でした。今の自分が見たら「これRADWIMPSのMVじゃん」だの「この監督は自分が書きたい画にストーリーを後付けしてそれっぽくしているだけでは?」などと暴言を吐きそうなものですが、当時の自分がどう思ったのかは記録もとっていないのでわからずじまいです。
そこから約7年が経過し、「神宮球場のバックスクリーンが正規のスポンサーじゃない*1」という理由だけで見る気をなくした*2「天気の子」をスルーして、2023年の映画初めに選ばれてしまった「すずめの戸締まり」に向かうのでした。
結論から言えば見て損にはならなかった、と思っています。とはいえ細かい描写に「そりゃねえだろ」みたいな部分を感じてしまって入れ込みきれなかった、というのが否めなかったです。話の本質に関係ないので敢えてネタバレしますと、ある登場人物が乗る車の描写に異常なまでの引っ掛かりを感じてしまったのでした。
明らかに某イタリア車を彷彿とさせる架空のオープンカーだったのですが、それがまぁポンコツで。屋根は閉まらないわドアは落ちるわ…と、そこだけ異常なまでにコミカルかつ滑稽に描かれていたように見えて私は集中できませんでした。どれだけ私が腐ってもクルマというコンテンツに好きという感情があるからこそこのような思いをしたのかもしれませんが、それにしたって酷かったなという。
もっとツッコむなら彼のSpotifyを使ったBGMの選曲にも場の空気とのミスマッチ感を感じずにはいられなかったのですが、そうでもしてないとやっていられないんじゃなかろうか、みたいな同情をすることで整理することにしました。
正直、ここに引っ掛かりを覚えるのは自分みたいな極一部の人間だけです。とはいえ自分の中で数多の言語化できない引っ掛かりを感じたこの映画に思うのは、「東日本大震災を知らない世代が見て果たしてギミックを理解できるのだろうか」ということです。これも言語化できない引っ掛かりの1つに入るのですが、恐らく10年20年後に、今の私ぐらいの人間によってこの映画がレビューされた際に現在の文脈とは大きく変わった文脈で評価されるのではないかと感じています。その頃の自分がレビューを見るかどうかは知ったことではないですが、なんとなくそう感じずにはいられないのです。
あまりにも無遠慮かつ不謹慎な言い方をすれば、その間に大震災が起こりでもすればこの映画はこの懸念どおりに風化しないのでしょうけれど。
結論から言えば、私は新海誠という映画監督に何も求めてはいない*3んだなということは確かでした。そもそも「言の葉の庭」だの「秒速5センチメートル」だのだって見たことはないんだし。一部の感想に目を通すと陰湿なオタクがギャーギャー騒いだり、スカした顔して批評している様を見たりしますがそれですらどこか滑稽に思えてしまう不思議。神格化はしたくないんですけど、どうもあの監督には「触らぬ神に祟り無し」の気配が漂っている。そんな気がしてならないのです。見ない方が幸せだとかは言いませんけど、ね。
でもやっぱり2時間2分費やして言語化できたのが例のクルマの描写だけって、どうなんだとも思いますが。
それでもまぁ世間は彼を肯定し、興行収入を稼いでいくんだなとぼんやり感じつつ締めたいと思います。まとまりのない文章でしたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
今度は自発的に同人誌のレビューをしてみることにする
前回の記事以降、本当に推しがかつてやっていたブログ*1と同じぐらいの更新頻度になっていて正直笑っている自分がいます。Mikageです。
2022年も残り1ヶ月半を切り、皆様いかがお過ごしでしょうか。「御景雑記」今年最初の更新は約2年ぶりの同人誌レビューです。
sasamatsu.booth.pm今回レビューする本は前回禊レビューさせて頂いた笹松しいたけ先生(以後、笹松先生)の著書なのですが、見ての通り評論本。今回は私のフォロワーであるじあぜん氏*2のご厚意で頂き物という形で手にすることとなりました。夏コミの後すぐにお会いできるかなと思ったのですが、なんと私自身が某流行病を貰ってしまい、色々あって実際に引き渡されたのは10月の頭のことでした。
そんな経緯を経て私の手元に渡ったこの本ですが、この本は読んで字の如し笹松先生が実際に「個人間の精子提供者」として活動された際の出来事をまとめたものになります。正直な話、私にとっては色々と縁のない話なのですが、こういった『自分とは違った人生のルート』を過ごしている方のお話が読める、というのも同人誌の面白さなのかもしれないと思いました。
前置きはこのぐらいにして、本題に入っていきます。
そもそも笹松先生が「精子提供」という概念を知ったのは下に貼った本*3のアイデアとしてテレビで見たことがきっかけで、その当初は創作のネタとしての認識だったそうです。
創作でいくら幸せな結末を書こうがなんだろうが、現実に目を向けると、子供を残すことの難しさというのは嫌でも痛感させられるものです。そもそも結婚できるのかとか、収入や時間とか、それだけじゃない様々な要因に加えて、更に2020年からは某流行病が襲ってきます。それが更なる焦りを生むことは想像に難くないと思います。
しかし世の中には確かに子供を後世に残すべく不妊治療を受け、その中のオプションとして個人間精子提供という選択肢を取る人々がいるという事実をこの本は突きつけてきます。
笹松先生はその現状に自ら身を投じて、実際に精子提供マッチングサイトに登録して…というのがこの本の始まりです。
この本のすごいところは(失礼な表現ではありますが)笹松先生の行動力もありますが、個人間精子提供の生々しいまでのリアルが伝わってくるところにあります。正直自分のスペックも関わってくる話なので、『興味半分や面白半分でできることではない』と前もって書いておきます。でもそういった人でも『こういう世界がある』という気付きを与えてくれるので読んで損は無いと思います。中でもこれだけは読んで欲しいと思うエリアは1つあるのですが、そこだけを面白半分で読まれると悩ましいと感じたのであえて書きません。というかそこが皆さん一番読みたい部分だと思いますので。
正直私は自分がそういった行動、行為ができるスペックを持っていたとしてもやりたくないと感じています。その理由もこの本にはしっかり記載されています。そこも含めて、私は1つの世界の境目を見ている気分になりました。光とは到底言い切れないし、闇とも到底言い切れない世界。改めて人生の使い方を考えさせられる一冊でした。
この本はあくまでも笹松先生が見られた視点でのお話ですが、笹松先生の身には想像を絶するような現実が襲い続けたことだったと思います。それに耐えつつ、一冊の本にして世の中に送り出して頂いたことに感謝しつつ今回のレビューを締めたいと思います。私が声を大にして言いたいのは、少しでも興味のある方は是非ご自分の目でこの本に目を通して頂きたい、ということです。お手元に置くのが少々怖い、という方は電子版もあるのでそちらからどうぞ。
【再現 パワプロ2020】エステバン・ジャン(投手) 【パワナンバー】
2020年、あれから禄にブログを更新することなく2021年を迎えてしまいました。
本年も変わらない…いや、今後の自分次第では変わるかもわかりませんが本年も宜しくお願いします。
2021年一発目の更新は昨年から更にガラリと傾向が変わってパワプロ2020で作った再現選手についての記事となります。その場の勢いとノリで作った感は否めないので今後も再現選手作成をするかはわかりませんが「ひとまず記事として残しておこう」という意味合いで書いております。
選手名:エステバン・ジャン
再現年度:2007年(5勝6敗 防御率4.66)
【経歴】
高校時代にカープアカデミーで外野手として野球を始めた後、1990年にアトランタ・ブレーブスと契約。後にボルチモア・オリオールズに移籍し、1996年にメジャー初昇格。1997年オフに新設されたタンパベイ・デビルレイズ(当時、現在のタンパベイ・レイズ)のエクスパンション・ドラフト18巡目で指名され、同球団の初代メンバーとして名を連ねることとなった。
デビルレイズ時代の2000年には20試合で先発を務めて7勝。6月4日には投手としては5人しか記録していないメジャー初打席本塁打という記録を打ち立てている。実はその瞬間がひっそりとMLB公式YouTubeに投稿されていたりもする。
Yan homers on first pitch of MLB career - YouTube
その後はほぼリリーフ専門にキャリアを重ねながら実に7球団を渡り歩き、11年通算472試合登板、33勝39敗51セーブ、防御率5.14という成績を残した。
2007年にNPB・阪神タイガースに移籍。同年オフにMLBに移籍した井川慶と入れ替わりの入団となった。00年以来の先発転向となり21試合に先発するも、セットポジションでグラブを静止できない悪癖が災いしボークを取られ続け、最終的にはNPBシーズン最多となる12ものボークを記録してしまった。また、極度の汗っかきだったこともNPBへの順応を難しくしたようだ。
その12回目のボークを犯した8月21日のヤクルト戦(神宮)で武内晋一への頭部死球で危険球退場となったのを最後に一軍のマウンドに立つことなく、10月2日に父親の体調悪化を知らされたのを機に帰国。そのまま退団。その後はKBOや米独立リーグ、メキシカンリーグで2012年頃までプレーを続けた。近年ではレイズOBとして公の場に姿を表す機会が多い様子。
【査定について】
初作成ということもあり公式で実装されていたパワプロ14決定版のデータが基本となっていますが、そこから一部を改変した仕様となっています。
回復B:阪神時代も中4日登板をこなした為。MLB補正でもあります。
適正:先発のみにしてもよかったとは思いますが元々はリリーフ専門。当時の記事にも中継ぎ起用が示唆されていたので。
弾道2:実際の本塁打は先に上げた2000年のそれがキャリア唯一のようですが、阪神時代は4安打、1二塁打で地味にキャリア最多安打。DH制のリーグで投げていた時期の方が長い上にリリーフメインだったので打席に立つ機会がほぼなかったというのもありますが。
【余談というか後書き】
後に阪神に入団する同郷の後輩であるマルコス・マテオはキャンプでセットポジションで静止する秒数が短かった為に修正を受けており、本人のコメントでも「ドミニカでは捕手から返球されて早めに投げていた。1秒ぐらいかな。日本では2秒ぐらい静止しないといけない。止める方を中心に確認していたんだ」というものがありました。これを見るにジャンが苦心したセットで静止するという癖をつけさせる…という点ではいい反面教師にはなったのかと思います。
ジャンに話を戻すと、元々名前の響きが妙に良かったことからネタ程度で作ってみるかと思って調べていったのですが、インターネット上に存在する情報の中でもなんとか作れてしまうのだなというのが率直な感想でした。もっと密度を上げるならばそれ相応の投資は必要になるとは思いますが。それ以前に自分がここまで野球にハマるなんて思いもしなかったし、実は下書きに人生初の野球観戦のレポートが未だに書きかけで残っていたりもしますが、それはいずれ(そんなこと言っているとまた放置しかねない。年間1〜2記事はそれこそ自分の応援しているとある声優さんのブログと同じペース)。今年こそはもう少し文章を書かねばと思い結びとします。
【参考にしたサイト、記事】
【8月21日】2007年(平19) 日本新記録!ジャン ボークの後は危険球退場― スポニチ Sponichi Annex 野球
虎新助っ投マテオに緊急メス!セットでは2秒くらい待テオ (1/3ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)
日刊スポーツ電子版 助っ人列伝「メジャー挑戦の井川の代役として期待されたが…[2020年11月17日5時17分]」